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吉田松陰

2013/03/05

吉田松陰
山岡荘八 (著)
(Amazonより参照)



内容

(Amazonより参照)

吉田松陰1

 大和魂で信ずる道を進んだ変革期のリーダー九州遊学の途、平戸に滞在した松陰は沢山の黒船、唐人の姿を見た。
今や幕藩体制の時代は転換を迫られていることを痛感した松陰は、一層尊皇攘夷の運動に燃えた。



吉田松陰2

 時局を憂い、自ら起爆薬となって行動した男時代の打開策を模索する松陰は、江戸で佐久間象山と再会した。
信念を固めた彼は、国禁を犯して、沖に停泊中のアメリカ艦に乗り込もうという大冒険に踏みきった。



 これを、読むの時間が掛かりました、途中で飽きて他の本を一冊読んでから、なんとか読むことができました、
私が読むには、文章が硬いんですよね(表現が難しい)
しかしですよ、吉田松陰は凄いです。


凄まじい人生です。

「人間は一度は死ななければ話にならなぬ」
死んだ人間はもはやこの世に恐ろしいものは一つもない。そこで、つねに正しいと信ずる事を堂々と主張し、
実行できるはずだから。(2のp149)

 「世の中に、金も名誉も、生命もいらぬ奴ほど始末に困るものはない。
しかしそうでなければ本当の大事は語るに足りない」(西郷隆盛2のp149)

 作者の松陰に対する表現なんですけどね、助かろうと思えば助かった命なんですけど、
他人に嘘をつかない、自分にはなおさらなんですから、凄まじいです。

かくすればかくなるものと知りながら やむにやまれぬ大和魂
(このようなことをすれば、このような結果になることを、十分承知しているが、大和魂が自分をそうさせるのだ)
 松陰の手紙の一部だそうですがやっぱり凄まじい人生ですよね。

 吉田松陰の30歳の処刑され、彼が松下村塾で教えたのは、二年余り、
なのに歴史を動かす門下生を沢山輩出しています、なぜかと疑問がわきますよね。


教育


 「言うまでもない教育は教わろうと希む者と、教えようとする者とにだけしか
成立しないきびしい約束の一つである」(2のp217)

 教わる気のない者に、どんなに強制してみても実績のあがるものではない。
その代わりに「教わりたい」という情熱を持ってきている者に、無責任な態度で
のぞむのは天地の理法を貶める行為にほかならない。(2のp218)

これは、松陰の教育に対する考え方です。

 松陰の松下村塾での教え方は、先生と生徒と言うより対等な態度で接した事、寄宿生活で教えた事、
学費も取らないそうです(藩から家禄をもらっているから無料は当たりまえだそうです)、
 それで、なぜ二年余りで歴史にを動かす門下生を沢山輩出したかですが、
松陰は生きる方向を考える方向を愛情と信念で、熱心に教え、自らもそれを実践したからでしょうね、
本当に知りたかったらまず本を読めば先人達が教えてくれます、またそんな人なら自分で方法を考えるでしょう。

 「この国の幹となれ」と松陰は何度も言い自ら実践してますから、彼が死んでも生徒達の心には刻まれていたでしょうし、
それだけ松陰は愛されたからでしょうね、松陰の愛は、見返りや代償、邪念等みじんも感じませんね。
 解脱、悟りの釈尊を吉田松陰に感じます。

黒船

 その松陰の転機は黒船来航だったようですね、松陰は、このままでは日本はなくなると思いあまって、
密航を計画してそれに失敗し、それから自ら自首して、教育者となり、再び捉えられて死罪となり、
彼の死で倒幕の機運が上がり、明治を作り上げる人材を輩出したのですから、これがなければアメリカかもしくは
ロシアの植民地だったかも知れません。

 日本が鎖国ができたのはお隣の国が長い内戦だったお陰と聞いた事がありますが、
内戦がなければもしかしたら隣国の俗国になっていたかも知れませんね。
 それほど松陰のした事は、三十年の命でも世の中を変えた様です、吉田松陰は凄い、そう思いました。

ネットで松陰を調べると面白いです

衝撃!幕末の偉人・吉田松陰は相当クレイジーな人だった【教科書に載ってない】
見方を変えればそうですね

吉田松陰.com
写真入りで詳しい内容です

 松陰の信念は「日本は神国なりと、堅く信じて疑わなかった尊王攘夷家」(2p208)と著者は言ってます 。

尊王攘夷をネットで調べた
尊王攘夷とは天皇を中心として、異国の脅威を打ち払う事
尊王とは天皇を尊ぶこと、攘夷とは外国人
(外国に対する正しい認識がこの時代には欠如してた事で、外国人と仲良くしたいと思ってる人はごく少数だった)
尊王攘夷とはどういうことですか??

 こんな文章も私の知識では理解が難しい、もっともここだけ取り出すと、なんじゃこれはとなりますが、
前後を読めばそうかも知れないと思いますけれどね。